Post

10年越しの夢、シリコンバレーへ

10年越しの夢、シリコンバレーへ

2024年4月にTIER IVに入社し、会社の献身的なサポートのおかげで昨年2025年9月にL1-Bビザを取得できました。2026年2月からはTIER IV North Americaオフィスでプリンシパルソフトウェアエンジニアとして働いています。今回のブログは、なぜアメリカ、さらにいえばシリコンバレーに行きたかったのかについて詳しく書き残します。

なぜシリコンバレーなのか

最近では、「シリコンバレー」というよりも「サンフランシスコ」も含む「ベイエリア」という言い方の方が、おそらく正しいのだと思います。でも、日本人にはシリコンバレーの方が馴染み深いので、こちらを使います。

やっぱりなんだかんだ言って、ソフトエンジニア界の天下一武道会みたいなところが、これまでも、そして今でもシリコンバレーにはあります。竜盛博さんの書籍「エンジニアとして世界の最前線で働く選択肢」を5年以上前に読んで、ワクワクしまくり、どうしても行きたくなったことを覚えています。

マウンテンビューにはGoogleの、クパチーノにはAppleの、サンタクララにはNVIDIAの、メンローパークにはMetaの大きな本社があります。こういったビッグテックカンパニーの人たちが、世界中から凄腕のソフトウェアエンジニアを雇い、世界中で使われているプロダクトを生み出しているのです。 今現在も、シリコンバレーというよりはサンフランシスコのお話ですが、OpenAIやAnthropic、xAIなどの生成AIネイティブ企業が世界中のユーザーを圧倒的な速度で獲得していき、たった数年でAIチャットやAIコーディングで仕事をするというのが当たり前の世界をつくりました。 そして、サンフランシスコからサンノゼを結ぶ100km近くの道のりの間に、スタートアップが何万、何十万と存在します。このスタートアップのエコシステムの聖地であり震源地に、僕は足を踏み入れたかったのです。

夫婦の夢

シリコンバレー行きは僕だけの夢ではなく、夫婦の夢でもありました。妻は大学院の時に1年間アメリカに留学したことがあり、海外で暮らしたい、子どもに海外教育を受けさせたいという夢がありました。そのためにここまで、結婚当初から数えると10年くらい、本気で目指し始めてからは5年くらいかかりました。 その証拠に、妻と二人で海外生活を目指す4カ年の計画を立てたカレンダーがあります。

近藤家4カ年計画

この時ちょうど、Preferred NetworksからPreferred Roboticsに転籍するタイミングでもあり、「カチャカの製品化をどうしても見届けたい」という僕の願いと、「早く海外に行きたい」という妻の願いの両方を叶えるため、とても難しい合意形成、時には夫婦喧嘩を行いながらも、なんとか計画を立てました。その後も半年に一度くらいのペースで微調整はしていますが、2025年の段階でアメリカのL1-Bビザを取得でき、計画の期限ギリギリではありますが、10年来の夢が叶えられる目処が立ちました。9月にビザの承認が降りたメールを開いた時は、三男を抱っこしながら夫婦で喜びを分かち合ったのが目に焼きついています。

海外への第一歩

海外生活への最初の取っ掛かりは、2016年に韓国ソウルで開催されたROSCon 2016です。その時働いていた会社はカワダロボティクスでしたが、趣味で1年前からROSを使い始めていたものの、当時はまだ仕事でROSを使っていませんでした。会社からの経費でROSConに行くことは難しく、自費で行く必要がありました。 韓国は日本からも近く、ユースホステルなどを使えば非常に安く行けることが分かり、妻にも許しを得て行ってきました。これが縁で当時産総研、現Open Robotics CTOのジェフさんと仲良くなることができました。

翌年の2017年にカナダ・バンクーバーで開催されたROSCon 2017にも自費で参加しました。その会議が終わった翌日、当時Open Robotics CEOのブライアンさんとROSプロジェクトリードのタリーさん、ジェフさんとともに、ランチを食べる機会をいただけました。 そこで勇気を持って初のローカル開催となる日本版ROSConであるROSCon JPの開催を提案し、承諾してもらうことができました。これが機会となり、僕は世界と自分との距離を近く感じることができるようになりました。これまで写真に写るお三方は雲の上のような存在でしたが、そんな彼らが熱心に僕たちの話を聞いてくれたのです。それからは日本のような遠い島国からでも頑張れば世界に通じるんだ、というような根拠のない自信が湧くようになりました。

ROSCon JP打診

プランB:駐在ビザでアメリカへ

ただ、その後は長男の出産とPreferred Networksへの転職が重なり、海外で働きたいというモチベーションが一旦薄れてしまいました。子育ても落ち着き、ようやく海外転職を再度頑張ろうと思った矢先、アメリカでは第一次トランプ政権による移民規制と、コロナショックによるリモートワークの活性化により、現地就職の道が大きく閉ざされた期間が3年間以上続きました。

ここからは現地就職から頭を切り替えて、日本の企業から駐在ビザでアメリカに渡ればいいというプランBを実行していきます。ただ、大企業ではそんな簡単に入ってすぐ駐在ビザで海外に渡れるわけがありません。そこでスタートアップで早期に業績を上げ、駐在ビザを勝ち取る計画を立てました。

Preferred Roboticsでカチャカを製品化するタイミングで、CES 2023でカチャカの共同開発プロジェクトの成果物を展示したり、その年の年末にシリコンバレー弾丸ツアーを行ったりして、アメリカでのマーケティングやセールスの可能性について精力的に調査しました。ですが、日本とアメリカの商習慣や文化の違いは想像より大きく、その時はアメリカでの展開を諦めざるを得ませんでした。

TIER IVとの出会い

その後、アメリカのシリコンバレーにオフィスがあるTIER IVに出会いました。CEO加藤さんは、最終面接で僕のアメリカ行きの願いを快く承諾してくれて、2024年4月から働き始めました。最初は一人エンジニアから始まりましたが、半年後には10人規模のAutowareをOSS開発する組織の部長となり、1年半後にはそのAutowareに加えてエンドツーエンドAI、シミュレータ、システムソフトウェア、AI半導体の領域を管轄する組織の本部長となりました。そして約2年後の今、TIER IV North Americaにて、プリンシパルソフトウェアエンジニアとして働き始めることができました。

TIER IV North America

CEO加藤さん、上長であるCTO高島さん、CHRO村岡さんをはじめとする人事の皆様、僕の無茶な願いを叶えてくださり、本当に感謝しております。このご恩に報いるため、Autowareやそれに関連するソフトウェアの開発、さらにAutoware Foundationのコミュニティ活動に全力を投じ、弊社ビジョンであるThe Art of Open Sourceを一番に体現する人間になってみせます!

次回予告

次回からは、日本の海外転出の苦労話や、アメリカでの生活基盤の立ち上げのお話、最近プライベートで開発しているiOS/macOSアプリのお話、サンフランシスコ・シリコンバレーで開催されているミートアップの話などを、どんどん投稿していこうと思います。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.